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ドロップアウト産婦人科医の生活

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いもうと

兄弟、姉妹ものに関して、涙腺が弱い私です。
真央ちゃん姉妹、相撲の若貴、サツキとメイ・・・

私にも妹がいます。
小さい頃は、顔も性格も全然似てなくて、喧嘩ばかりでした。

親や学校から、常に、姉妹比較されながら育った妹は、一時はグレかけましたが
とても強い精神力を培い、高校卒業後、まもなく単身渡米しました。
英語すらまともに話せない妹は、専門学校、住むアパート、車の免許、現地での就職と
大人が日本でもこなすのが大変なことを、たった一人言葉も通じない社会でやってのけました。
イカついポリスマンともやりあって、しかも言い負かしたなんてエピソードもありました。

我が妹ながら、あっぱれ。
この妹の度胸には、本当に感服しております。

今も遠く離れた国で、一人で強く生きている妹。
今年のお正月にも帰ってきませんでした。
便りがないのは、元気な証拠。
元気でいるなら、それだけで十分です。
私なんかより、ずっとずっとたくましい妹。

ふいに帰国して、久しぶりに会えば、お決まりのように喧嘩もします。
姉妹の間柄は変わらず、お互い、全く成長すらしていません。
それでも、この世でたった一人の血のつながった姉妹です。
心細くなったり、悩んだりすると、真っ先に相談します。

お互い年を取って、身の回りの環境も大分変りました。
最近、顔が似てきたとよく言われます。
不思議だね。顔って年齢とともに変わるんだ。

でも、声は昔からそっくりでした。
それもお母さんと一緒で、よく電話の応対で3人の区別がつかないと
お父さんにさえ、よく言われていたよね。

妹が最初にアメリカに旅立つ時、出発ロビーで見送るお母さんと別れる間際、
気持ちを押し殺そうと、素っ気なく離れた妹の背中に向かって
お母さんは妹の名を、絞り出すような声で最後に呼んだそうです。
妹は、その時のお母さんの声を、一生忘れられないと言います。
そんな話を聞く度に、私は今でも涙が出て止まりません。

滞在は当初1年だけといった約束も、すでに20年近く経とうとしています。

お母さんの最期にも立ち会うのがギリギリでした。
妹は、お母さんとろくに話すこともできなくて
ずっと傍にいた私は、予後を見極められなくて、医者としても
とても申し訳なく思いました。

でも妹は、自分を責めていました。
お母さんのあの時の声を、この先も自分は背負って生きるんだと。

自分らしく生きることを、お母さんも望んでいるよ。
「子供の幸せが、自分の幸せ」よく言ってたでしょ、お母さん。
またいつでも帰っておいでよね。

最近は、ビデオ電話なんてのも進化してきてるからさ、
そこにいるかのように話せる便利なものを手に入れて
またいっぱいしゃべりたいなー。
by kurukuruX | 2012-01-07 21:49 | おかあさん

只今、二度目のドロップアウト中。


by kurukuruX